長時間労働やパワハラで自殺をする会社員が絶えない。
「頑張れば給料が増えて楽になれる」
僕はその言葉を信じて頑張ってきたが、まるで楽にならない…むしろ、精神的ストレスは増しているように感じる。
あなたも同じように感じるのではないだろうか?
いつまで経っても楽にならないサラリーマン生活から脱出すべく、僕は”社会の仕組み”を勉強してきた。
この記事では、サラリーマンが辛い理由を説明する。
過酷な労働から脱出するための一歩となるはずだ。
目次
頑張って働いても楽にならない
仕事を頑張れば給料が上がり、給料が上がることで楽な人生を歩むことができる…少なくとも、僕はそう信じてきた。
しかし、現実は違った。
頑張って仕事をこなしても、さほど給料は変わらず、仕事の数と責任だけが増え続け、顧客からの無理難題に加えて上司からのパワハラが止むこともなかった。
負荷をかけ続けられた僕は次第に病み、ついには会社を休職することになったのである。
僕は自分の働き方を悔いた。
頑張って働いたところで得るものは少なく、一方で、楽をして同等の報酬を得ている人間がいるように感じていたからだ。
休職で得た時間、僕は考えた。
「どうすれば、苦痛から解放されるのか」
しかし、考えても答えは出ず、今までほとんど読まなかったジャンルの本を読み漁るようになった。
それから半年後、僕はようやく『答え』にたどり着く。
仕事が辛いのは、サラリーマンだからだ、と。
僕たちは社会のカラクリを知らない
ルールを知らずにスポーツをすると、ボコボコに負けることになる。
加えて、チームメイトからは「なんで知らないの?」と非難され、そして観客からは失笑を買う。
ルールを知らないと、どんなに動き回っても勝てないのだ。
仕事ではどうだろう?
僕たちが勤めている会社は、競合相手との”試合”に勝つべく、商品開発やサービスの向上を日々推進している。
つまり、僕たちはゲームに参加するプレイヤーの一人だ。
しかし僕たちは、この社会のルールを理解して働いているのだろうか?
答えは『NO』だ。
ルールを知らないからこそ、僕たちはなぜ辛いのかが分からず、いつか楽になるという希望にすがるしかないのだ。
資本主義経済のカラクリを知ることができれば、なぜ仕事が辛いのか、どうすれば楽にできるかが見えてくる。
社会のカラクリは『資本論』に書かれている
資本主義経済のカラクリを理解するのに、最も適しているのは『資本論』だ。
資本論は、150年以上前にカール・マルクスという経済学者が書いた本で、資本主義経済を鋭く研究したもの。
資本論では、僕たちが生きている資本主義経済のカラクリが書かれており、なぜ労働者が辛い生活に追い込まれてしまうのか、そして、どうすれば辛い生活から抜け出せるかを読み取ることができる。
資本論を読んだとき、僕は大きな衝撃を受けた。
労働者が辛いのは資本主義経済のカラクリによって決まっており、言わば、労働者の運命だったからだ。
サラリーマンは『身売り』をしている
資本主義経済では、すべてのモノが『商品』と見なされる。
僕たちサラリーマンも例外ではなく、商品を売ってお金をもらっている。
では、僕たちが売っているものは何か?
答えは、労働力だ。
僕たちサラリーマンは、自分の労働力を会社に売り、その対価として給料を得ているのである。言わば、身売りだ。
サラリーマンは身売りだから、奴隷のように使われて辛いのは当たり前…となるのだが、もうちょっと掘り下げてみよう。
問題となるのは、給料の決まり方だ。
給料は会社の良し悪しや、成果によって決まる…僕はそう考えていたが、それは間違っていた。
労働力を商品として考えた場合、給料は労働力の回復・維持にかかるコストで決まるのだ。
・家賃
・洋服代
・治療費
・娯楽費
・勉強費用
など
つまり、給料とは明日も元気に働くための経費だと言える。
例えば。
・出世をすると給料が増えるのは、増えるストレスを回復させるためのコストが増えるから。
・技術職の給料が高いのは、日々進歩する技術を習得するためにコストがかかるから。(今ある能力に対しての報酬ではない)
分かりやすく言うと、僕ら労働者は身体の中に労働力というエネルギー缶を持っている。
エネルギー缶は働けば働くほど減っていき、やがてゼロになって働けなくなる。
そうなると雇用主は困るため、エネルギー缶を回復するためのお金を支払っているのである。
サラリーマンがいつまでも辛い理由
さて、だ。
僕たちサラリーマンは、体力を回復するための最低限のお金しかもらえない、これこそがいつまで経っても辛い理由だ。
敏腕経営者であればあるほど、資本主義経済をよく理解しており、不平不満の出ない金額を提示して労働者にしっかり働いてもらっている。
給料が十分に出せない企業は、やりがいだったり、パワハラだったり、給料以外の策で労働者を働かそうとする。
目の前にニンジンをぶら下げられた馬を想像すると分かりやすい。
ニンジンがもらえると洗脳された馬は走り続ける、当然ながら何も与えないと衰弱して走れなくなるので最低限の食事・休息は与えるだろう。
このカラクリを理解すると、サラリーマンが辛いのは当然のことだと分かるのだ。
頑張って成果を出したとしても、働いた分の回復費用しかもらえない。
出世して給料が増えたとしても、その分のストレスや責任が増えるために楽にならない。
たとえ転職したとしても、次の会社もまた、資本主義経済にある1つの会社にすぎないため、辛い環境のままなのである。
サラリーマンである限り、辛い環境から抜け出すことができないのだ。
さいごに
僕たちサラリーマンは、来る日も来る日も満員電車に揺られ、顧客の無理難題を受け、上司からの罵声に耐え、長時間労働で身を削りながら働いている。
「頑張れば給料が増えて楽になれる」
このような”希望”というニンジンを目の前に吊るされ、その言葉を疑うこともなく僕たちサラリーマンは働き続ける。
資本主義経済の仕組み上、いつまで経っても楽にならないのだが、そのことを僕たちは知らないのだ…
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